■平成17年01月の記事

2005/01/20

地震大津波災害でタイ現地調査(レポート)
 1月7日から11日まで、自民党訪問団の一員としてベトナム・タイを視察してきました。武部幹事長を団長とする8名の訪問団は昨年の12月初旬にベトナム・インドネシア訪問団として計画されていましたが、12月26日のスマトラ島沖地震による大津波災害の発生を受け、年末に急きょ日程を変更し、ベトナム訪問後はインドネシアとタイの2班に分けて実施されたものです。私はタイ班に参加し、プーケットおよび周辺地域の被害状況を視察してきました。

ホー・チ・ミン廟に参拝

ホー・チ・ミン時代に閣議が
行われたテーブルで記帳

 ベトナム・ハノイでは序列ナンバー1のマイン書記長、ナンバー2のカイ首相、政治局員のホアン・ベトナム日本友好議員連盟会長と懇談したほか、国立衛生疫学研究所(元パスツール研究所)を訪問し、鳥インフルエンザの発生状況や対策について説明を受けたあと、研究施設も視察しました。
人口8300万人のベトナムでは、1100万農家には必ずといっていいほど30羽〜40羽の鶏が飼育されており、農家の収入源としても食用としても貴重な資源となっています。昨年の大量発生以来、鶏の大量処分はもちろん人への感染も多く確認され、今年に入ってからも鳥インフルエンザによる死者は6名を数えています。武部幹事長から、日本の支援により、アジアにおける感染症対策・予防センターをベトナムに設置することについて提案したところ、先方からは心からの歓迎の気持ちが表明され、できるだけ早期に検討に入ってほしい旨の要請がありました。日本にも国立衛生研究所があり、鳥インフルエンザやSARSなどの研究を行っていますが、レベル4の研究施設(非常に危険なウイルスを培養して研究できるレベルの閉ざされた施設)が東京都の副都心・新宿にあり、とても日本国内で研究できる環境ではありません。アジア全体はもちろん、日本のためにもベトナムでの本格的な研究施設の整備が重要であり、人間に投与するワクチンの生産を含めた研究を進める必要があります。 また、ベトナムは今回の津波の直接的な被害は受けていませんが、早期警戒システムの提供や大災害が起きた際に的確に対応できる人材の育成についても要請がありました。

ベトナム共産党ノン・ドゥック・
マイン書記長と握手

国立衛生疫学研究所(NIHE)で
鳥インフルエンザの研究施設を視察

 ベトナムの印象を一言で言えば、まさに「普通の国」だと思います。北朝鮮からの脱北者が中国を経由してベトナムに入国し、ベトナムから相当数韓国に亡命していますが、北朝鮮や中国からの度重なる送還要求に対し、ベトナムは人道的視点から送還拒否を続けています。同じ共産党でも、我々日本人と価値観を共有できる部分があります。故人であるホー・チ・ミン以外では個人崇拝はありません。また、マイン書記長はベトナムでは数少ない少数民族の出身であると聞きました。現在、日本ベトナム友好議員連盟会長であり、ベトナムを12回も訪問している武部幹事長からお聞きしたところでは、年配のベトナム人日本語通訳はほとんど例外なく北朝鮮で日本語をマスターしているが、誰に教わったかを聞いても答えないとのことです。おそらくは日本人拉致被害者からではないかとの憶測もできます。
 9日にハノイを離れタイに到着。バンコクで飛行機を乗り継いでプーケット空港へ。プーケット空港周辺はそれほど被害が大きくないとのことで、そのまま北へ70キロのカオラックヘ直行しました。今回の津波では、タイ全体で5400名近くの死者が出ています。約半数は外国人の被害者となっていますが、とりわけヨーロッパのスエーデンやドイツの観光客が多く死亡しています。プーケット周辺を訪れていた日本人観光客は、ヨーロッパ人観光客に比べてそれほど少なかったわけではありませんが、日本人が好むのは、ビーチのほかにおみやげ屋さんや町並みで、そのような地域では幸いにして被害が比較的小さかったと聞きます。しかし、カオラックやピピ島(プーケットの東南にある島)のようにヨーロッパ人が好む静かなビーチでは、地形的な要因で(たとえば、山が近いとか、入り江になっているところ)非常に高い津波が押し寄せ、多くの死者が出たとのことです。報道では、象が危険を察知して高台に逃げたおかげで乗っていた人が助かったということを聞きましたが、一頭の象が丘の上で休んでいる姿も見えました。日本人でも、カオラックのコテージに宿泊していた大使館員家族が津波の直撃を受け、父親と子供が亡くなり、パスポートを取りに戻った奥さんだけが助かったのは奇跡かもしれません。たまたまピピ島にいっていた日本人も亡くなっています。カオラックからプーケットへの帰途、多くの遺体が安置され荼毘に付されたお寺に立ち寄り、手を合わせてきました。訪問した時点では、遺体はさらに北にある医師団の活動拠点に運ばれ、DNA鑑定のための措置が行われているとのことでした。

カオラックで津波被災地の視察
(後方左の大破した建物は大使館員の
吉野さん親子が宿泊していたコテージ)

カオラックの別のビーチ
(大破した新車と、2階まで
被害に遭ったコテージ)

 夕食はプーケット空港の近くにあるゴルフ場のレストランで、プーケット日本人会(会員約250名)の宮下会長、山口事務局長、総務担当のMasamiさんと懇談し、被害当時の状況やその後の問題についてお聞きしました。驚いたことに、すでにそのゴルフ場は営業を再開し、我々が食事をとっているレストランの入り口ロビーでは、30人ほどの欧米人がカクテルパーティーを開いていました。宮下会長からは、津波の直後から、被災した日本人観光客が着の身着のままで困っているのを見かねて、日本人会の事務所を宿舎として提供したり、日本人の安否情報の収集や提供に大使館員と一緒になって駆けずり回ったことをお聞きし、同じ日本人として非常に感激いたしました。Masamiさんからは、地震発生直後にNHKの衛星放送で「スマトラ島沖で大きな地震が発生、この地震による津波の心配はありません(日本では)」というテロップが流れ、震源地がプーケットに非常に近いことからタイのテレビを目を凝らして見ていたが、一時間経っても二時間経っても何の報道もなかったことを聞きました。もし、タイのテレビにNHKと同じようなテロップで津波情報が流れていたとしたら、被害は相当食い止められたのではないかと思います。
 日本人会の皆さんに、今、いちばん困っていることをお聞きしました。異口同音に、「日本での報道で、プーケットやその周辺地域全体がカオラックのような大きな被害を受けており、当分、復興が進まないのではないかという正確でない印象を日本人が持っているのではないか。年間15万人から17万人の日本人観光客が早くプーケットに来てくれることが一番の希望です」とおっしゃっておられました。

プーケット日本人会の皆さんと懇談
(左から2人目が会長の宮下さん)

帰国したその日に、官邸で小泉総理に
プーケットの被害状況を報告

 11日早朝に帰国し、その日に官邸を訪問して小泉総理に、被災直後における日本人会の皆さんの献身的なご尽力や、プーケット周辺の実情について、日本政府が正確な情報を提供して欲しいとの要望をお伝えしました。また、その直後に開かれた自民党の災害対策本部でも、詳細にわたり報告し、対応を求めました。
 それらのことについて、同日、宮下会長にメールを送り、14日に返事をいただきました。インターネットもすでに復旧しています。現在日本訪問中の宮下会長とは、明日、21日にお会いする予定です。 

2005/01/09

地震大津波災害でタイ現地調査
 自由民主党スマトラ沖地震・大津波被害救援対策本部(本部長・武部勤幹事長)の調査団として、タイでもっとも被害の大きかった地域の一つ、プーケット北方のカオラック地区中心部と、遺体搬送場所となった寺院ワット・ラックケーンを視察。地元プーケット日本人会からも要望をお聞きしました。
 翌日には、スタム・セーンプラトゥム内務副大臣と会談、党からの義援金500万円の目録を手渡し、さらに、ソラチャック・カセムスワン外務政務官、クラセー・チャナウォン首相顧問、クライサック・チュンハワン上院外交委員長らとも会談しました。