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1998/07/12
【富山新聞】

住博司・代議士が死去、43歳、多臓器不全で、衆院富山2区選出、40日以内に補選、後継選び、葬儀後から本格化
●14日に葬儀
 衆院富山2区選出の自民党代議士、住博司(すみ・ひろし)氏は十一日午前六時四十六分、多臓器不全のため東京都新宿区信濃町の慶応大学病院で死去した。四十三歳。自宅は魚津市新金屋一ノ三ノ九。通夜は十三日午後七時から、葬儀は十四日午前十一時半から、いずれも東京都港区芝公園四ノ七ノ三五、増上寺慈雲閣で。葬儀委員長は自民党幹事長の加藤紘一氏、喪主は兄一郎(いちろう)氏。二十日午後二時から魚津市北鬼江二八九八ノ三、ありそドームで「お別れ会」が開かれる。
 住氏は腸閉塞のため昨年十月に東京都内の病院に入院し、年末から議員活動を再開したが、ことし二月に再入院した。三月から国会に復帰したものの、四月中旬から三度目の入院をしていた。
 国会には欠席届が提出され、公式の場には姿を見せなかったほか、五月十日の自民党富山県連大会や、六月十四日の党富山第2選挙区支部定期大会にも欠席したことから、同氏の健康不安がささやかれていた。
 住氏死去に伴う富山2区の補欠選挙は、自治省から知事に死亡通知が届き、県選挙管理委員長に報告された日から四十日以内に行われる。選挙期間は十二日間で、死亡通知があった日から遅くとも二十八日以内に告示される。死亡通知が届くまでに一週間程度かかることから、八月十一日告示、二十三日投票、または十八日告示、三十日投票のいずれかになる見通しである。
●平成2年に初当選
 住氏は住栄作元法相の二男として魚津市に生まれた。早大政経学部卒業後、NHKに入り、東京報道局、熊本、京都放送局で放送記者として勤務した。
 昭和六十二年にNHKを退職し、宮沢喜一元首相の秘書を務めていたが、死去した栄作氏の後継者として平成二年二月の総選挙で旧富山1区から出馬、二位で初当選した。五年の総選挙ではトップ当選を果たしたのに続き、小選挙区比例代表制となった八年の総選挙では新富山2区へ移り、八四・八%の全国トップの得票率で連続三回目の当選を飾った。
 宮沢派に所属し、この間、厚生政務次官、党遊説局長、党国対副委員長を歴任、現在は党政務調査会社会部会長を務めていた。
●〔衆院の勢力分野〕
 自民党の住氏が十一日死去したことに伴う衆院各会派の新しい勢力分野は次の通り。
 自民党二六三▽民主党九二▽平和・改革四七▽自由党四○▽共産党二六▽社民党・市民連合一五▽無所属の会五▽新党さきがけ二▽無所属九▽欠員一
■後継選び、葬儀後から本格化、官僚、県議、首長の名前も
 住代議士の急死に伴う衆院富山2区の補欠選挙が八月下旬に行われることになったのを受けて、自民党富山第2選挙区支部を中心とする後継者選びが十四日の葬儀後から本格化する。すでに県出身の官僚、県議、首長らの名前が取りざたされており、告示まで一カ月余りしかない中で調整が注目される。
 住氏については四月以降、県政界で「代議士活動の再開は無理なのではないか」との見方が強まったため、水面下で後継者として複数の名前が取りざたされてきた。地元では荻野幸和黒部市長、
宮腰光寛、鹿熊正一、高平公嗣の各県議ら、また地元出身の官僚では建設省北陸地建総務部長の藤田博氏(入善町出身)、元労働省総務審議官で雇用促進事業団理事の広見和夫氏(魚津市出身)、元埼玉県副知事でオーストラリア・ブリスベーン総領事の坂東真理子氏(立山町出身)らの名前が挙がっている。
 党県連幹部は十一日、2区内の党支部での議論を積み上げる方式を確認し、住、長勢甚遠両氏の旧代議士系列間での対立を回避する方向で一致したが、関係者は地元の意向と宮沢派の思惑が調整される局面もあると見ている。このため宮沢派の加藤紘一党幹事長と綿貫民輔県連会長に住家の代表が加わった会議が近く持たれ、その席で一定の方向が出されるとの見方もある。
 これに対し、共産党県委員会は候補者を擁立するため参院選後、直ちに人選に入る予定である。民主党とやま、社民党富山県連合はいずれも、参院選後に検討するとしている。

1998/07/12
【富山新聞】

最期は自ら手を合わせ、衆院富山2区選出の住博司・代議士が死去、「早すぎる」県民に衝撃、橋本首相らが弔問、東京の自宅
●遺族「助けてやりたかった」
 四十三歳という若手政治家の早すぎる死は、富山県内の政界のみならず県民の間にも衝撃となって伝わった。十一日、富山2区で圧倒的な人気を集め、政策通として中央政界でも将来の期待を担っていた住博司さんの訃報に支持者らは驚きを隠せず、父栄作氏に続き親子二代が現職中に急逝する不運に悲しみを深くした。
 二五度を超える東京の蒸し暑い夜が明けるのを待っていたかのように、住さんは十一日朝、母の芳子さん、兄の一郎さんに見守られて静かに息を引き取った。「これで終わった」。臨終の間際、住さんが漏らした最期の言葉は、遺族には、父栄作氏と同じく現職の代議士として世を去る無念さの表れに聞こえたという。
 遺族らによると、住さんは十日午後から容体が急変。出張を取りやめて病床に駆けつけた一郎さんらの励ましも及ばず、住さんは十一日午前五時ごろから意識が混濁した状態になり、自らベッドの上で手を合わせると、穏やかな表情で息を引き取った。
 昨年十月、「腸閉塞の手術のため」として入院してから、約九カ月の闘病生活だった。途中、一月と三月には、国会に姿をみせたが、四月中旬からは三度目の入院をし、再び国会の赤じゅうたんを踏むことはなかった。
 芳子さんは「何とか助けてやりたかった」と目を伏せ、姉の雅子さんも「余りに急なことで動転している」と声を震わせた。
 住さんが入院していた東京・信濃町の慶応大病院には、伊藤宗一郎衆院議長や同じ宮沢派の加藤紘一自民党幹事長、瓦力建設相ら国会議員、入善町後援会の笹島信義会長ら地元関係者が訪れた。
 瓦建設相は「若手のホープとして期待していただけに残念でならない」と、住さんの死を悼んだ。
 加藤幹事長は「住君はここ数年、いい仕事をしてこれからが楽しみだったのに」と、遺体に付き添う芳子さんらを慰めた。
●「これほど悪いとは」、自民党県連、悲しみ乗り越え参院選必勝を
 住さん死去の第一報が自民党富山県連の河合常則幹事長に入ったのは十一日午前七時四十分ごろ。城端町の自宅で千田稔同県連総務会長からの電話を受けた河合幹事長は何度も「本当か、本当か」と念を押したという。
 河合幹事長は富山市舟橋南町の自由民主会館へ駆けつけ、午前十時ごろから大上紀美雄筆頭副幹事長、竹内弘則政調会長と三役会議を開いた。同時刻ごろ、富山2区の西島栄作県議ら三氏はJR魚津駅から特急「はくたか」に飛び乗り、東京へ向かった。
 三役会議を終えた河合幹事長は報道陣を前に「住代議士の容体がこれほど悪いとは思わなかった。まだ若く、今後に期待していたのに残念だ」と絶句した。しかし、すぐに気を取り直し、「悲しみを乗り越えて参院選に勝つことが住先生の意思に沿うことになると信じている」と必勝への決意を新たにした。
 自民党候補の選挙事務所はただちに渡辺辰男選対本部長名で、住氏の急逝を伝える文書を各市町村選対支部にファクスで流し、参院選勝利へ結束を呼びかけた。
●橋本首相らが弔問、東京の自宅
 住さんの遺体は十一日午後五時過ぎ、白布にくるまれて東京・下落合の自宅に無言の帰宅をし、橋本竜太郎首相をはじめとする国会議員や地元関係者が続々と弔問に駆けつけた。
 午後九時二十分ごろに訪れた橋本首相は、住さんの遺体に手を合わせた後、「(住さんの死は)早すぎた。お父さん(栄作氏)とは労働省の時代からお付き合いしていた。彼は福祉、厚生分野の仕事をよくやってくれていた。惜しい人を亡くした」と死を悼んだ。
 地元から西島栄作、千田稔、
宮腰光寛県議や中谷延之宇奈月町長、大橋武同町議会議長、魚津龍一朝日町長らが姿をみせ、「あまりに突然の死で驚いている」と戸惑いの表情をみせた。弔問客の間には、住さんの死去を受けた衆院富山2区補選や後継候補の選考に絡み、「十二日の参院選が終わると、熱い夏が来る」との声も漏れた。
●魚津市の事務所にも続々
 魚津市新金屋一丁目の住後援会事務所には仮祭壇と記帳台が置かれ、石川精二魚津市長、正橋正一富山市長、澤田寿朗滑川市長をはじめ県議、市議、支持者らが続々と詰め掛け、めい福を祈った。
 線香の紫煙が流れる中、関口健吉魚津市後援会会長代行らが応対し、今後のスケジュールの打ち合わせなどに追われた。

1998/07/22
【富山新聞】

候補擁立へ各党の協議本格化、衆院富山2区補選、地元の5、6人に絞る
 住博司代議士の死去に伴う衆院富山2区補選の候補者選びで自民党県連は二十一日、常任総務会、役員会を相次いで開き、候補者の一本化に向けた協議を本格化させた。同日までに地域支部から推薦のあった五、六人について今週末までに一人に絞り込みたいとしている。これに対して民主党とやまは二十日、社民党県連合も二十一日にそれぞれ会議を開き、対応を協議したが、結論を持ち越した。
●自民県連、週末までに一本化へ
 自民党富山2区支部の県議十二人は二十日の住博司代議士合同葬の後、魚津市の東京第一ホテル魚津に集まり、候補者選考について協議した。
 会議後に会見した千田稔2区支部長代行によると、同日まで市町村支部などの意見聴取の結果、十五市町村支部のうち十支部から一任を取り付け、五支部から首長、県議らの名前を挙げて候補者の推薦があった。
 関係者の話を総合すると、各支部からは荻野幸和黒部市長、中尾哲インテック社長、
宮腰光寛、高野行雄、高平公嗣、鹿熊正一の各県議らの名前が上がっている。
 合同葬で出馬の意思表示とも受け取れるあいさつをした住博司氏の兄の一郎氏について、千田支部長代行は「地域から推薦の声は上がっていない。また住博司後援会幹部から、地域で選ばれた人に協力することを決めたとの申し出を受けたばかりだ」と述べ、一郎氏のあいさつに不快感を示した。
 自民党県連は常任総務会(県議会議員総会)で2区支部役員による候補者選考経過を報告した。出席者によると、候補者についての具体的な氏名は明らかにされなかったが、二十二日に2区支部の市町村支部長、幹事長会議を開いて意見を聞いたうえで、候補者を絞り込む方針が示された。出席した県議らからは、今回の補選が新政権で初の国政選挙で極めて重要な選挙となるとして「勝利できる候補を早急に決めてほしい」との意見が出された。
●今月内めどに、民主とやま
 民主党とやまと富山県民社協会、産業政策フォーラム、県友愛会の各幹部は二十日夜、富山市内で衆院富山2区補選問題で意見交換し、今月内をめどに候補者擁立に向けて努力することを申し合わせた。
 意見交換は参院選総括を兼ねて開かれたもので、前川忠夫同とやま代表ら十数人が出席した。
 関係者の話を総合すると、同党本部から候補擁立を強く要請されている中で、「人材と選挙態勢の確立の両面から検討すべき」(同とやま幹部)との認識で一致したものの、候補者選考については具体的に論議されなかった。意見交換会の中では労組幹部や地元出身者ら数人の名前が出たものの、具体的に出馬要請する段階には至らなかった。
●告示まで努力、社民県連合
 社民党富山県連合の常任幹事会は二十一日、富山市の高志会館で開かれ、衆院富山2区補選について、八月十一日の告示ぎりぎりまで候補擁立へ努力することを決めた。
 あいさつに立った横山真人同連合代表は「(自民党が敗北した)参院選直後に行われ、全国から注目されている。基本的には公認候補を立てるべきで、2区支部連合と相談しながら努力したい」と述べた。
 幹事会後、小川晃幹事長が記者会見し、2区連合支部から「十七日の会合では候補の名前が出てこなかった」との報告を受け、厳しい情勢の中、参院選で同党を支援した労組、連帯する県労組会議など労働界の意向、動向を見極めながら対応することになった、と話した。
●近く候補者を発表、共産県委員会
 共産党富山県委員会は二十一日、常任委員会を開き、衆院富山2区補選に出馬する候補者を固めた。近く、正式に発表する予定である。

1998/07/23
【富山新聞】

4県議が出馬の意思表明か、衆院富山2区補選、自民の候補者選び、2区支部が意見聴取開始、きょう首長、官僚2人からも
 衆院富山2区補選の候補者選考で自民党富山2区支部は二十二日、2区内の県議十二人から意見聴取を始めた。同日中に意見を聴かれた十人のうち、地域支部から名前が挙がっている四人が出馬の意思を表明したものとみられ、2区支部は二十三日も残る二人のほか、首長一人、官僚二人の意思確認を行った上で、県連と連携を取りながら候補者を絞り込みたい方針である。
 2区支部の執行部はこの日、富山市の県議会議長公舎で県議十二人のうち公務出張などで県外に出ている川原敏彦、酒井眞次の二氏を除く十人から意見を聴いた。
 千田稔支部長代行は「複数の人から意思表示がなされた」と話しており、関係者の話も総合すると、表現に濃淡はあるものの、地域支部の意見聴取で名前の出た
宮腰光寛(黒部市)鹿熊正一(下新川郡)高野行雄(魚津市)高平公嗣(中新川郡)の四氏が出馬の意思を表明したものと見られる。
 2区支部は残る県議二人のほか、首長では荻野幸和黒部市長、官僚では雇用促進事業団副総裁の広見和夫氏(魚津市出身)、厚生省大臣官房統計情報部長の酒井英幸氏(滑川市出身)の意思確認を行うものとみられるが、名前が取りざたされた中尾哲インテック社長については「(意思のないことを)確認済み」(千田支部長代行)としている。
 また、故住博司代議士の兄の一郎氏については2区支部として意見を聴かない方針を確認した。
●県議団に選考一任、自民2区支部合同役員会
 自民党富山2区支部と2区内の市町村支部の合同役員会は二十二日、富山市の自由民主会館で開かれ、住博司代議士の後継候補選考について2区の県議団に一任することを決めた。
 合同会議では、黒部市連などから「若くて地元で汗をかいている人を出すべきだ」との意見が出された。
 「県連の決定が党本部で覆されることはないか」との質問に2区支部執行部は「中選挙区制の時と違い、小選挙区制の選挙では県連の決定が最優先される」と答えた。
 また、住一郎氏が合同葬儀で出馬の意思表示とも受け取れるあいさつをしたことに関して「地元以外の力が働いているのでないか」との疑問が出されたが、執行部は「県連を通じて、(住氏が所属していた)宏池会(宮沢派)にその意向がないことを確認した」と答えた。

1998/07/24
【富山新聞】

首長と4県議に絞る、衆院富山2区補選、自民党の候補者選び、官僚2氏は辞退申し出、きょう個別に面談、共産はきょう発表
 衆院富山2区補選の候補者選考で自民党富山2区支部は二十三日、選考対象を首長一人、県議四人の計五人に絞って調整作業を進めた。二十四日には支部役員が五氏と個別に面談して突っ込んだ話し合いをすることにしており、選考作業は大詰めの段階を迎えた。
 2区支部のこれまでの意見聴取に対して、荻野幸和黒部市長と
宮腰光寛(四期、黒部市)鹿熊正一(二期、下新川郡)高野行雄(一期、魚津市)高平公嗣(同、中新川郡)の県議四氏が出馬の意思を示し、いずれも調整を2区支部に一任する意向を表明した。
 一方、官僚で名前が上がっていた広見和夫雇用促進事業団副理事長(魚津市出身)と酒井英幸総理府社会保障制度審議会事務局長(滑川市出身)は出馬の意思がないことを2区支部へ伝えている。
 これを受けて2区支部は二十四日、役員が分担して五氏を訪ね、出馬の意思を再確認したうえで、選考から外れた場合にも党公認候補に協力する約束を取り付ける方針である。
 2区支部はこうした作業を踏まえて一人に絞り込むための調整を行うことにしているが、難航した場合は党県連に調整を委ねることになる局面も想定されている。
●共産はきょう候補者を発表
 共産党県委員会は二十四日、衆院富山2区補選の公認候補予定者を発表する予定である。

1998/07/25
【富山新聞】

きょうにも県連と協議、衆院富山2区補選、自民2区支部の候補者選考、一本化で5氏と面談、民主は来週早々に候補擁立へ
 衆院富山2区補選の候補者選考で自民党富山2区支部執行部は二十四日、選考対象となっている首長一人、県議四人の計五人と個別に面談し、一人に絞り込む調整作業を2区支部と県連の話し合いに一任することの了解を取りつけた。2区支部執行部はこれを受けて、二十五日にも綿貫民輔県連会長らと協議を行い、一本化の決着を図る方針である。
 2区支部の千田稔支部長代行ら執行部は二十四日、黒部市内のホテルで
宮腰光寛(四期、黒部市)鹿熊正一(二期、下新川郡)高野行雄(一期、魚津市)の三県議と個別に面談したのに続き、高平公嗣県議(同、中新川郡)、荻野幸和黒部市長とも会い、出馬の意思に変わりがないことを確認するとともに、県連を加えた調整の結果、選考から外れた場合にも、一本化された党公認候補に協力する約束を取り付けた。
 2区支部は五氏とも辞退する意思がないとの判断に立ち、県連にその旨を連絡し調整に加わってもらうことにした。
●あすめどに決定
 2区支部では二十六日をめどに候補者を決定したいとしており、二十五日にも県連幹部との協議の場を持ちたい意向である。
●来週早々に候補擁立へ、民主党とやま
 衆院富山2区補選で前川忠夫民主党とやま代表(参院議員)は二十四日、「候補者を擁立することは決めている」とした上で、「来週初めにも、具体的な候補者を選びたい」と話した。

1998/07/28
【富山新聞】

党本部に白紙一任、衆院富山2区補選・自民候補、選考は振り出しに
 住博司代議士の死去に伴う衆院富山2区補選の自民党候補者選考で、綿貫民輔県連会長は二十七日、2区支部に対して党本部への白紙一任を求め、2区支部はこれを了承した。これによってこれまで名前が挙がった六氏を参考にしながらも、候補者選考は振り出しに戻った。
 2区支部と県連は二十七日未明の選考会議で、住代議士の兄一郎氏から県連一任についての返答がないため、一郎氏が無所属でも出馬する可能性があると判断。住代議士後援会の票も取り込めるとの戦略から、いったんは、これまで住代議士を支援してきた
宮腰光寛県議(黒部市)を擁立する方向に向かった。
 この報告を受けた綿貫県連会長と党本部は、参院選後初の国政選挙となる同補選での敗北は許されないとの認識に立ち、住代議士の後援会も支援できる候補者を擁立すべきだと判断した。
 綿貫会長が急きょ県入りし、富山市のテクノホールで開かれた2区支部と県連の会議では、同会長が選考対象となっていた四県議を除く2区の八県議から個別に事情聴取して情勢を探った。
 関係者によると、綿貫会長は「この選挙は負けるわけにはいかない。私は県連会長として政治生命をかけている」と言い、党本部と同会長への白紙一任を求めた。このため自民党の候補者選考は県連が当初のめどとしていた二十七日から大幅にずれ込む見通しとなった。

1998/07/29
【富山新聞】

6氏から契約書受け取り、衆院富山2区補選、綿貫・自民富山県連会長、河合・幹事長を通じ
 住博司代議士の死去に伴う衆院富山2区補選の候補者選考で、自民党県連会長の綿貫民輔代議士は二十八日、河合常則党県連幹事長を通じ、選考対象に上がっている五氏と、公認を申請した住氏の兄の一郎氏から党一任の誓約書の提出を受けた。また自民党本部では県関係国会議員七氏が会談し、候補選考を綿貫氏と党執行部に一任する方針を確認した。
 綿貫氏は河合幹事長と電話で話した際、選考対象となっている荻野幸和黒部市長と
宮腰光寛(四期、黒部市)鹿熊正一(二期、下新川郡)高野行雄(一期、魚津市)高平公嗣(同、中新川郡)の各県議に対して、出馬の意思に変わりがないことを再確認するよう指示した。さらに魚津市連に公認申請した住氏の兄一郎氏を含め、候補となった際には党の方針に従うとの誓約書を提出することを要請した。
 一方、党本部の会談では、綿貫氏のほか長勢甚遠、萩山教嚴、橘康太郎の各代議士、永田良雄、鹿熊安正、久世公尭の各参院議員が出席した。
 綿貫氏は県連から候補選考の一任を受けたこと告し、「今回の選挙は小渕新総裁就任後初めての国政選挙であり、絶対に負けられない。地元や本部からの情報を総合して判断したい」と協力を求めた。この後、綿貫氏は森喜朗幹事長を訪ね、候補選考の経過を報告した。
 綿貫氏は会談後、「早急に決めなければならないが、支持勢力の分裂だけは避けたい」と語り、住一郎氏を含めて候補の一本化を目指す意向を改めて示した。さらに「候補が当選したとしても、(綿貫氏が属する)小渕派に引き込むようなことはしない」とも述べ、住氏が所属した宮沢派との話し合いに柔軟な姿勢を示した。

1998/07/30
【富山新聞】

二転三転、やっと“軟着陸”、衆院富山2区補選、候補者選考劇、綿貫民輔氏「負けられぬ選挙」、自民王国、死守へ意地にじむ
 住博司代議士死去に伴う衆院富山2区補選の自民党公認候補調整は二転三転した結果、県連会長の綿貫民輔代議士が”大なた”を振るい、
宮腰光寛県議擁立でようやく決着した。綿貫氏の胸の内には「惨敗した参院選の後で、小渕恵三新総裁選出後、初めての国政選挙で負けられない」という「自民王国富山」死守にかける意地がにじみ出た。
 「こんなに苦しんだ選考は初めてだった」。自民党本部での会見の席上、綿貫氏は口を真一文字に結んだ。「この選挙で負ければ、私の政治生命に傷がつくとの緊張感も持っている」と語る綿貫氏の顔には、長期に及んだ候補調整を示すように、疲労の色がありありと浮かんでいた。
 県連2区支部主導でスタートした候補調整は首長一人、県議四人の計五氏に絞り込まれた。一方で、住氏の兄一郎氏が立候補の意思を表明したことを受け、同支部は中選挙区時代に火花を散らした住氏と長勢甚遠代議士の両勢力の中間派とされた荻野幸和黒部市長を軸に調整を進め、旧住氏後援会を一体化できる候補として一時は
宮腰氏擁立で固まった。
 しかし、「選考の当初から、住派と長勢派が円満に協力できる選び方が大前提と考えていた」という綿貫氏はあくまで、候補一本化にこだわり、公認調整を白紙に戻すとともに、選考一任を取り付けた。
 そして二十八日、一郎氏を含む六氏が「公認選考について綿貫氏と党本部に一任する」との誓約書を提出したことで候補一本化のめどが立ち、事態が急展開した。「地元での選考も含めて検討した」(綿貫氏)結果、再度、
宮腰氏擁立の方針で合意したのである。
 住氏が生前所属した宮沢派の丹羽雄哉元厚相が一郎氏の携帯電話に連絡し、
宮腰氏擁立決定を知らせた。丹羽氏は二十八日、綿貫氏に一郎氏公認を申し入れていたが、「残念な結果だが、誓約書を提出した以上、一郎氏も宮腰氏に対抗して出馬することはありえない。宮沢派としても、全面的に宮腰氏を支援する」と語った。
●決定を重大に受け止める、住一郎氏が会見
 衆院富山2区補選で自民党候補者選考のカギを握っていた住一郎氏は二十九日、魚津市新金屋の住博司後援会事務所で記者会見し、「(
宮腰県議の候補決定を)大変重大に受けとめている」と出馬見送りを示唆した。
 住氏は用意した談話のメモを手に、「公認をいただくために支持者の皆さま方に大変お世話になった」と支持者への感謝の言葉を述べた上で、「皆様に支えられて今日までまいりました。大変ありがたく、支持者の皆様には心から感謝します」と一気に読み上げた。この間、顔を上げることはなく、淡々とした中にも、弟博司氏の後継候補になれなかった悔しさもにじませた。
 住氏は二十五日、自民県連魚津市連に公認申請し、公認を得られない場合は無所属でも出馬するとの意向を内々にほのめかしていた。

1998/07/30
【富山新聞】

衆院富山2区補選で宮腰県議を擁立、自民党
 住博司代議士の死去に伴い来月十一日告示される衆院富山2区補選の候補選考で、自民党は二十九日、
宮腰光寛県議(47)を擁立することを決めた。党県連会長の綿貫民輔代議士らが同日、東京・永田町の同党本部で党三役に報告、了承を受けた。県連は三十日、富山市内で開く常任総務会で擁立決定を報告し、三十一日にも公認申請する。
 この結果、富山2区補選は
宮腰氏、共産党公認の折田誠氏(46)、民主党公認の谷林正昭氏(51)の三氏で争われる公算が大きくなった。

1998/07/30
【富山新聞】

宮腰光寛・県議の擁立決定、衆院富山2区補選で自民、綿貫民輔氏ら、党三役に報告
 住博司代議士の死去に伴う衆院富山2区補選の候補選考で、自民党は二十九日、
宮腰光寛県議(47)を公認候補として擁立することを決めた。党県連会長の綿貫民輔代議士らが同日、東京・永田町の同党本部で党三役と会談し、報告、了承された。県連は三十日、富山市内で開く常任総務会で擁立決定を報告し、三十一日にも党本部に公認申請する。
 この結果、2区補選は
宮腰氏、共産党公認の折田誠氏(46)、民主党公認で出馬する予定の谷林正昭氏(51)の三氏で争われる公算が大きくなった。
 会談には綿貫氏をはじめ、橘康太郎代議士、鹿熊安正、久世公堯参院議員の県関係国会議員、県連の河合常則幹事長、渡辺辰男副会長が出席し、森喜朗幹事長、深谷隆司総務会長、池田行彦政調会長と最終調整を行った。住氏が所属した宮沢派から丹羽雄哉元厚相も同席した。
 関係者の話を総合すると、綿貫氏は会談で、候補選考が最終的に
宮腰氏と荻野幸和黒部市長、住氏の兄一郎氏に絞り込まれた経緯を説明した。その上で▽住氏の遺志を体現できる▽2区内の対応一本化▽挙党態勢での支援取り付け―の条件を最も満たす候補として、宮腰氏が最適との認識を示した。
 森氏らはその場で同意したうえで、「今後の対応では住家の意向もくみ取ってほしい」と要請した。
 綿貫氏は会談後の会見で、「2区支部での選考の経緯と、党本部の調査資料に従って総合的に判断した」と述べた。さらに「候補に挙がった六人は誓約書を提出しており、住一郎氏が無所属で出馬することはありえない」とし、候補を一本化できるとの見方を示した。
 住氏後継候補をめぐっては富山2区支部が
宮腰氏ら県議四人と荻野市長の計五人に絞り込む一方で、一郎氏が党魚津市連に公認申請書を提出した。これを受け綿貫氏は二十八日、六氏に党一任の誓約書提出を要請。同日夕になって六人のうち鹿熊正一、高野行雄、高平公嗣の各県議が出馬辞退の意向を県連に伝えていた。
●責任の重大さ感じる、
宮腰光寛
 小渕政権で初の国政選挙であり、自民党にとって厳しい情勢の中、責任の重さを感じている。選考過程で綿貫県連会長や2区支部の皆さんに大変な心労をおかけしたことに感謝したい。
●〔略歴〕
 
宮腰光寛(みやこし・みつひろ) 京大法学部中退。黒部青年会議所理事長を務めた後、昭和五十八年県議に初当選し、四期目。県議会厚生、教育警務、総務企画各委員長、副議長を歴任した。北方領土返還要求運動県民会議事務局長。宮腰工業所社長。黒部市岡七四七ノ一。

1998/07/30
【富山新聞】

3陣営、選挙準備を加速、衆院富山2区補選、自民=「不協和音」克服し、結束、民主=党内のきしみ出た、共産=政策抜きの選考
 住博司代議士の死去に伴う衆院富山2区補選で二十九日、自民党県連が県議の
宮腰光寛氏を候補に決めたことで、同補選は社民党が対応の協議を急ぐ中、今のところ自民、民主、共産の公認候補で争われる公算が大きくなった。十一日の告示まで二週間足らずとなり、各党の選挙準備はいよいよ本格化する。
 自民党県連は三十日に開く常任総務会(県議会議員総会)で
宮腰氏の擁立を機関決定し、2区支部長に同氏が就任するのを受けて選挙体制の構築に入る。候補者選考過程を巡る2区支部内の「不協和音」(関係者)も予想されるが、千田稔支部長代行は「2区全体の空気が反映された結果であり、結束して選挙を戦える」と自信を示している。
 谷林正昭副代表に出馬を要請した民主党とやまの渡辺新次郎副代表は「今回の二転、三転した選考劇で自民党内部のきしみが県民の目に明らかになった」と話し、候補者が決定し次第、選挙態勢づくりを進めるとしている。
 折田誠新川地区副委員長を擁立する共産党県委員会の反保直樹委員長は「政策抜きの選考劇で、自民党は県民の声を正面から受け止めていない」と切り捨て、今後も消費税三%や解散、総選挙を訴えていく方針である。
 社民党県連合の横山真人代表は「自民党候補がだれであれ、わが党は公認候補の擁立に向けて一層の努力を続ける」と話した。

1998/07/31
【富山新聞】

宮腰光寛氏の公認申請、衆院富山2区補選、満場一致で決定、自民党富山県連常任総務会
 自民党富山県連の常任総務会は三十日、富山市の県総合体育センターで開かれ、八月十一日告示の衆院富山2区補選の候補者として県議の
宮腰光寛氏(47)=四期、黒部市=を公認申請することを決めた。
 常任総務会には県議二十八人が出席した。
 綿貫民輔県連会長が選考経過を報告した後、「自民党の命運をかける選挙となるため、党三役と相談して決めた。2区支部の役員に無礼なことをしたり、トップダウンの決定となったが、この選挙にどうしても勝たねばならない決意の表われとしてお許し願いたい」と述べた。
 満場一致で公認申請が決められたのを受けて
宮腰氏が入室し、同氏は「厳しい戦いとなるが、皆さんの支援を受けてこの大事な選挙を勝ち抜きたい」と決意を述べた。

1998/07/31
【富山新聞】

連載企画/潮流、衆院富山2区補選、自民の候補者選考劇、住、長勢系列の対立回避、兄・一郎氏示唆で混乱
 住博司代議士の死去に伴う自民党の衆院富山2区補選候補者選考が二十九日、ようやく決着した。地域支部の意見集約を積み上げていくという当初の手法が行き詰まり、党本部からのトップダウンで決めざるを得なかった背景には、住氏の兄・一郎氏の出馬示唆をめぐる住博司、長勢甚遠両代議士系列のあつれきを指摘する向きが多い。
●荻野氏軸から一転
 地域支部から推薦が上がった五氏の中で、2区支部と県連は荻野幸和黒部市長に照準を絞って話し合いを進めた。荻野市長は住、長勢両代議士のいずれの系列にも等距離のスタンスを保ってきたとされ、「県議から選んで嫉妬を買うよりも、政治色の薄い首長の方が2区の幅広い支持を得やすい」(関係者)との判断である。綿貫民輔県連会長とは同じ慶大出身であることも、有利な条件に挙げる県議もいた。県連執行部は一時、荻野氏擁立で根回しに動いた形跡がある。
 しかし、一郎氏が二十五日に魚津市連へ公認を申請してから事態が急変する。荻野氏を推す勢力の中心に長勢代議士系の存在を感じ取る県連執行部は、両代議士系列の対立再燃を懸念したのである。2区支部の絞り込み作業は住代議士系で年齢も若い
宮腰氏に収れんされていく。「宮腰君だと住代議士系は動きづらいだろう」とベテラン県議の一人は「宮腰擁立」の狙いを解説した。
●負けられぬ選挙
 ところが、永田町を舞台に住代議士が所属していた宮沢派と接触を続けてきた綿貫県連会長が富山に乗り込み、白紙に戻してしまった。これについては「一郎氏が出馬の姿勢を崩していない段階で
宮腰氏の名を出すのは、住代議士系をいたずらに刺激するだけとの判断によるもの」(自民党関係者)との分析がもっぱらである。
 綿貫氏としては、自民党が参院選で大敗した後、小渕内閣発足後初めて行われるため全国の注目を集める国政選挙で負けることは「小渕内閣の不信任」(綿貫氏)であり、組織率日本一の富山県連としても「負けは許されない選挙」(同)との思いが強い。党内世論から「一郎氏公認」の選択肢に現実味がない以上、自民党公認候補と一郎氏が争うことで保守勢力が二分されることは絶対に避けなければならなかった。
 二十八日、一郎氏が綿貫氏に党本部に一任する旨の誓約書を提出し、「無所属出馬はありえない」(関係者)ことになった時点で初めて、
宮腰氏公認の条件が整ったのである。
 二十日の住代議士の合同葬で、一郎氏が出馬表明とも受け取れるあいさつをして以来、2区支部を中心とする後継候補選考劇は、一郎氏とその支援者らの動きに振り回され続けた格好だった。綿貫氏が「異例の選考方法だった」と振り返るように、住博司氏から一郎氏への縦軸と、住、長勢両代議士系列間の横軸が複雑に絡み合った選考劇だった。